主食が穀物ではなかった証拠3「グルット4の役割」

つめの証拠は「糖輸送体」にまつわることです。細胞が血液中のブドウ糖を取り込むためには、GLUT(グルット)と呼ばれる「糖輸送体」が必要です。

このうちグルット1は赤血球・脳・網膜などの糖輸送体で、脳細胞や赤血球の表面にあるため、血流さえあればいつでも血液中からブドウ糖を取り込めます。

一方、筋肉細胞と脂肪細胞に特化した糖輸送体がグルット4で、ふだんは細胞の内部に沈んでいるのでブドウ糖をはとんど取り込めません。しかし血糖値が上昇してインスリンが追加分泌されると、細胞内に沈んでいたグルット4が細胞表面に移動してきて、ブドウ糖を取り込めるようになるのです。

グルットのなかでインスリンに依存しているのはグルット4だけです。インスリンとグルット4 の役割を、農耕前の時代までさかのぼって考えてみました。

グルット4 は、今でこそ獅子奮闘の大活躍なのですが、農耕前ははとんど活動することはなかったと考えられます。

すなわち農耕後、日常的に穀物を食べるようになってからは「食後血糖値の上昇→インスリン追加分泌→ グルット4が筋肉細胞・脂肪細胞の表面に移動→ブドウ糖を細胞内へ取り込む」というシステムが、毎日食事のたびに稼働するようになったのです。

しかし、狩猟・採集時代には穀物はなかったので、たまの糖質摂取でごく軽い血糖値上昇があり、インスリン少量追加分泌のときだけグルット4 の出番があったにすぎません。

運よく果物やナッツ類が採集できた場合のみです。この頃は、血糖値は慌てて下げなくてはいけないはど上昇しないので、グルット4 の役割は、筋肉細胞で血糖値を下げるというよりは、脂肪細胞で中性脂肪をつくらせて冬に備えるほうが、はるかに大きな意味を持っていたと思います。

すなわち、農耕前は「インスリン+ グルット4」のコンビは、たまに糖質(野生の果物やナッツ類) を摂ったときだけ、もっぱら中性脂肪の生産システムとして活躍していたものと考えられます。

また、摂取した糖質は肝臓にも取り込まれてグリコーゲンを蓄えますが、あまった血糖が中性脂肪に変えられて脂肪細胞に蓄えられます。

この中性脂肪の蓄積システムも、いまでは日常的に稼働していますが、狩猟・採集時代には食後血糖値の上昇ははとんどないので、肝臓に取り込まれるブドウ糖もごく少量で、中性脂肪に変換されることも少なかったと思います。

このように、農耕前の糖質をはとんど摂らない食生活では、「インスリン+ グルット4」のコンビの出番は少なかったわけです。同じ糖輸送体でも、グルット1 (脳・赤血球・網膜の糖輸送体) のほうは、農耕前も農耕以後も24時間常に活動しているわけで、グルット4 とは大きな違いがあります。

インスリンが追加分泌されたときだけ稼働するというグルット4 のシステムは、たいへん特殊であり不思議な代物です。しかし糖質がたまにしか摂取できない時代では、必要なときだけ稼働するというのはとても合理的です。農耕前の7 0 0 万年間は、たまに8 6果物やナッツを食べて血糖値が軽く上昇したときだけ「インスリン+ グルット4」を稼働させて、飢餓に対するセーフティーネットである中性脂肪を蓄えていたのです。

ふだんは必要ないので、グルット4は細胞内で鎮座していたのでしょう。「インスリン+ グルット4」の特殊性も、人類の主食が穀物(糖質) ではなかった状況証拠といえます。

主食が穀物ではなかった証拠2「人体のバックアップシステム」

2つめの証拠は、人体のバックアップシステムに関することです。ケトン体は、ほとんどの体細胞でエネルギー源として使われますが、唯一赤血球だけはミトコンドリアというエネルギー生産装置を持っていないので、ブドウ糖しか利用できません。

肝臓はケトン体を生成しますが自分では利用しません。赤血球は血液の主成分の1つで、体細胞に酸素を渡し、二酸化炭素を受け取って肺まで運んでいます。

もしこの機能が損なわれてしまうと、酸素がきちんと送られなくなって生命維持に深刻な事態をもたらします。

したがって、ブドウ糖しか利用できない赤血球のために、最低限のブドウ糖を常に確保しておく必要があり、人体は多重のバックアップシステムを持っています。グルカゴンやエビネフリンというホルモン、副腎皮質ステロイドホルモンなどは血糖上昇作用があります。

そして肝臓でアミノ酸などから糖新生してブドウ糖をつくり、血糖を確保します。このようなバックアップシステムが不測の事態に備えて用意されているわけです。

一方、インスリンの場合はどうでしょうか?インスリンは体内で唯一、血糖値を下げる働きをしています。すい臓のβ 細胞がインスリンの分泌をきちんと行っていればよいのですが、分泌機能が低下してしまうと血糖値を下げることができなくなり、人体にやはり深刻な事態をもたらすことになります。

ところが、インスリンにはバックアップシステムがありません。糖尿病がこれはど増えていることを考えれば、すい臓のβ 細胞というのは脆弱なものといえますが、それ以外に血糖値を下げるシステムはまったく用意されていないのです。

その理由として考えられるのは、農耕前の人類が糖質をはとんど摂らない食生活を送っていたからではないでしょうか。糖質を摂らなければ血糖値が上がることはまれで、インスリンの追加分泌はほとんど必要ありません。したがって、バックアップシステムをつくる必然性がなかったと考えられます。このことも、人類の主食が穀物(糖質) ではなかったことの状況証拠です。

主食が穀物ではなかった証拠1「インクレチンの効力」

現代人が穀物に依存するような遺伝子を備えていないということは、人体の仕組みを見れば理解しやすいと思います。

「DPP- 4阻害剤」という糖尿病の薬が日本でも健康保険で使えるようになり、2009年12月から発売されました。この薬は「インクレチン」というホルモンを血中にとどめる作用があります。

インクレチンとは、小腸から分泌されるホルモンで、血糖値が正常のときはインスリン分泌を促進させず、食後高血糖のときだけインスリン分泌を促進させるので、低血糖も起こしにくいのです。

まことに都合のいいホルモンですが、残念なことにDPP-4酵素によって速やかに分解されてしまうため、血中の半減期が約2分と非常に短いのです。

この酵素の働きを阻害してやれば、インクレチンは血中にとどまり、およそ24時間近くも血糖降下作用を発揮してくれることになります。

ここで根源的な疑問が湧いてきます。なぜ、このような都合のいいホルモンが、血中でわずか2分で分解されて効果を失ってしまうのでしょうか?考えられる一番シンプルな推測は、人類の進化の過程でインクレチンは食後2分くらい働けばもう充分で、あとは消え去るのみだったということでしょう。農耕が始まる前の700万年間は、日常的な血糖値の上昇がはとんどなかったのですから、インクレチンが何時間も働かなくてはならない必然性はありません。

当時の食生活でいえば、日常的には野草・野≠采、たまにナッツや果物などの糖質を摂ったときに血糖値が少し上昇するので、インクレチンはそれに対応していたものと考えられます。

そうだとすれば、食後2分間働けば充分です。農耕が始まり、食後高血糖が日常的に生じるようになったあとは、インクレチンにおおいに活躍してはしいところです。

しかし、いかんせん700万年間の進化の重みは大きくて、DPP-4が律儀にすぐ分解してしまうクセがついているのです。

人類の歴史を考えれば穀物が主食になった期間はごく短いので、それに対応できるような突然変異は生じなかったのでしょう。インクレチンが約2分間で分解されるという生理学的な特質は、人類の主食が長らく穀物(糖質) ではなかったことの証拠といえるでしょう。