農耕前の人類の「主食」は何だったか?

農耕が始まる前、狩猟・採集の時代には、人類の主食が穀物ではありえないことをここまで説明してきました。

それでは、初期の人類の主食はいったい何だったのでしょう。とくに、文化が出現する以前の、石器も狩りの技術も未熟な70 0万〜20万年前の人類の主食とは?主食は種の生存にとって大きな意味を持つもので、同時代・同地域で主食が競合する種はどちらかが絶滅していきます。

すなわち自然界では、一種の動物に一種の主食があるのです。「親指はなぜ太いのか」のライフワークに、マダガスカル島(外界と遮断された世界) の多種のサルの生態や主食を調べた仕事があります。島氏は、各種のサルで、主食を摂るのにピッタリの親指や手指が発達することを見出しています。

つまり、マダガスカル島に住むさまざまな種のサルには、それぞれ異なる固有の主食があり、主食を食い分けることで共存しているのです。から例えばアイアイというサルの主食は、殻が固くて3 cmくらいの大きさのラミーという巨木の種子です。

 

アイアイは、まず非常に太い親指で殻をしっかり固定して、歯で削って穴を開けたあと、特殊に発達したきわめて細くて長い中指を突っ込んで、中身をかき出して食べます。主食と手指の関係ということでは、アフリカのチンパンジーのナックルウォークも特徴的です。

彼らは、蔓に覆われた密林で木々の先にある果実を主食として、蔓を持って移動しっつ食事をします。そのため親指と手指は、蔓をつかんで移動して主食を得るライフスタイルにピッタリの構造をしています。

彼らはたまに地上に降りたときも、蔓を持つときのナックル(拳固) のまま歩行するのです。他のサルのように手掌をつけて歩くことはしません。

島氏は主食と手指のこのような関係を指摘した後に、人類の主食について次のような大胆な仮説を述べておられます。「ライオン等の肉食獣が、大型草食獣を倒して内臓や肉を食べる。その後ハイエナが登しにく場し屍肉を漁る、武器も未熟で狩りもままならない当時の人類は、ハイエナが去るのを待って最後に残った骨(骨髄) を拾って手にもって安全な場所まで二足歩行で移動したあと、石(石器) で骨を割ってそのまま食べたり骨髄をすすったりしていた。

主食は常の食物だから握りしめる石は常に持っていなくてはならない。そのため四足歩行がむつかしく二足歩行が必要となった」その状況証拠として、アフリカ東海岸の人類の遺跡のはとんどに、「大型肉食獣の歯形の付いた草食獣のかち割られた骨」が出土しているそうです。

そして人類の親指は、他のサルとはまったく異なるきわめて特殊な形態をしており、石を握りしめるのに最適な機能を有しているそうです。骨や骨髄は、他の動物とはまったく競合しない、安定して確保できる食糧でもあります。

骨髄には、人体に欠かせないEPA( エイコサペンタエン酸) やDHA (ドコサヘキサエン酸)もたっぷり含まれています。

タンパク質・脂質・カルシウム・鉄なども豊富です。富山県食品研究所によれば、午骨100gあたりタンパク質19.7%、脂質柑18.1 % 、カルシウム780mg、鉄8.6 mgです。

豚骨や鶏骨もまた、栄養的には申し分のない構成で、骨は人類の主食として優れたバランス栄養食といえます。人類の脳の機能が急速に発達した時期(約20万〜16万年前)は、動物性食品にしか含まれていないEPA・DHA の摂取が重要なポイントであり、この頃の人類は、それらが含まれている食品をしっかり摂っていたと考えられます。

大昔の人類の主食が骨・骨髄であるという島氏の仮説は、一見びっくりするようなものですが、私はかなりの説得力を感じました。骨(骨髄) だけではなく、魚介類や動物の内臓・肉なども含めて、動物性食品が狩猟・採集時代の主食だったという仮説もありおぼつかえると思います。少なくとも植物性食品が主食では、脳の発達は覚束なかったでしょう。

中性脂肪として蓄えられていた炭水化物

体内で生産できない必須アミノ酸と必須脂肪酸は、食べ物から摂らなくてはなりません。ビタミンも体内で合成できないものがはとんどで、食べ物から摂る必要があります。

これに対して、糖質は食べ物から摂る必要はありません。肝臓でアミノ酸などから糖新生によりブドウ糖を生成できるからです。

すなわち必須糖質は存在しません。それでは、人類の進化の歴史において、炭水化物(糖質)は何のためにあったのでしょうか?

実は狩猟・採集時代には、中性脂肪を蓄えることが糖質を摂る一番の役割だったと考えられます。前述のように、中性脂肪を体脂肪として蓄えておくことは、日常的に襲ってくる飢餓への唯一のセーフティーネットだったと考えられます。

そのため、運よく手に入れた野生の果物、ナッツ類などの糖質を体内に取り込み、それを中性脂肪に変えていたのです。

また、果物の果糖はブドウ糖にははとんど変わりませんが、吸収されて肝臓に至り、ブドウ糖よりすばやく中性脂肪になって体内に蓄えられます。

このように、糖質は貴重な中性脂肪蓄積のもとだったと考えられます。本来、中性脂肪を蓄えることが第一義だった糖質を、農耕が定着して以降は、日常的に摂るようになりました。さらにこの200年間は精製炭水化物を常食するようになったので、大量の追加分泌インスリンが出て、中性脂肪がたまりやすい体質になり、肥満やメタポリックシンドロームになりやすくなったのです。

中性脂肪を下げるための知識と習慣
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主食が穀物ではなかった証拠4「果糖と中性脂肪」

次に、果糖と中性脂肪について考えてみます。果糖というのは果物に含まれる糖質の主成分ですが、実におもしろい性質を持っています。

果糖が中性脂肪を合成しやすい糖質であることは、以前から知られています。果物中の果糖は、糖輸送体のグルット5によって吸収されますが、血糖にはほとんど変わらずに肝臓まで運ばれ、ブドウ糖代謝系に入ります。

このとき果糖は、ブドウ糖よりすばやく代謝されるという特徴があります。また果糖は、肝臓で脂肪合成にかかわる酵素を活性化するため、とても中性脂肪に変わりやすいのです。

このように、果物の果糖は中性脂肪をためやすく肥満しやすい性質を持っており、現代では要注意食材といえます。

さて、それでは再び狩猟・採集時代の食生活を考えてみましょう。果物には果糖、ブドウ糖、ショ糖などの糖質が含まれています。10万年前や20万年前にアフリカの人類がたまの果物にありついたとき、2つのシステムが稼働したはずです。

  1. ブドウ糖やショ糖→血糖値少し上昇→インスリン少量追加分泌→グルット4が脂肪細胞表面に移動→ブドウ糖を取り込み中性脂肪に変えて蓄積。
  2. 果糖→インスリンとは無関係にグルット5 により吸収されて、肝臓に運ばれて速やかに中性脂肪を合成。

この2つのシステムは、農耕が始まる前の人類の食生活と生存競争において、きわめて重要な意味を持っていたと考えられます。

すなわち、中性脂肪を蓄えることは、ご先祖にとって、飢餓に備えるための唯一無二のセーフティーネットだったからです。

果糖がインスリンに依存せずに、肝臓でブドウ糖より速く代謝され中性脂肪に変わるのも、農耕前の人類にとってはとても大きな利点だったと考えられます。

体脂肪をある程度蓄えられるのが、現世人類の大きな特徴です。

とくに女性の乳房とお尻は、脂肪の蓄積装置として優れたものであり、7属23種のなかでホモ・サピエンスが唯一生き残った大きな理由の1 つといえます。

ごく普通の体型の女性なら、その体脂肪により、水さえあれば母子ともに2ヶ月くらいは生きられるという大きな優位性があるのです。

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