糖質制限食の研究を始めてかなりの年月が経ち、その間、実に多くの方々が糖質制限食を実践されました。患者さんや多くの皆さんからさまざまな声をいただき、その効果の大きさに私自身が驚かされることも少なくありませんでした。
しかし当然ながら、糖質制限食に至るまでには試行錯誤があり、そのときどきの学びが糖質制限食の理論を補強したり、糖質制限食の効果を高めたりするうえで役に立っています。
糖質制限食が人類の健康食であるという確信を得たのも、そうした経験があったからです。そこでどのようにして糖質制限食にたどりついたのかを紹介します。
玄米菜食を導入したのは、1984年でした。病院給食として玄米を提供したのは、日本初だったと思います。当時、西洋医学を学び、漢方医学も学び、なんとか目の前の患者さんの症状を改善したいという思いとは裏腹に、治療がうまくいかないこともあり、臨床的に壁にぶちあたっていた時期でした。
いろいろ悩みましたが、西洋医学も漢方治療も薬物療法中心なので、薬物治療の前にわ食生活そのものを根本的に見直す必要があるのではないかという思いが湧いてきました。患者さんに食べてもらうなら自らもということで、主食を玄米に代えて、ジャンクフードや甘い物もいっさいやめました。
10日間くらい経つと、不思議なことに中学生時代からの長い付き合いだったアレルギー性鼻炎が、ピタリと止まりました。
ところが深酒が3 日も続いたり、たまに甘い物を食べると天罰てきめん、アレルギー性鼻炎が再発し、つくづく食生活の大切さを身をもって思い知らされました。
自らの体験もふまえて、1984年から当分の間は、アトピーも糖尿病もリウマチもぜんそく喘息も肥満も… すべての病気に対して玄米魚菜食を推奨していました。
玄米魚菜食とほぼ同じ時期に病気治療の一環として導入したのが絶食療法(断食療法)ですが、こちらも病院としては希有な試みだったと思います。
患者さんに断食してもらうなら自らもということで、さっそく試してみました。最初の2日間は、午前中立ちくらみ・脱力感がありましたが、3 日目はそこそこの健康状態でした。
それでも血糖値は35mg/dl舶と、びっくりするような低い数値が記録されこんすいました。普通なら意識不明で昏睡のレベルですが、断食中は血中ケトン体が高値となり、脳のエネルギー源となるので大丈夫なのです。
脳はケトン体を利用するという事実を、すでに34歳のときに自らの体で実験していたようです。その後しばらくは毎年1回のペースで断食をしたので、計12〜13回したことになります。
断食を始めてから、アレルギー性鼻炎は基本的にコントロール良好です。しかし忘年会シーズン(深酒) や中国旅行(砂糖+酒) の際は、それなりに再発して漢方薬を服用していました。
1999年から糖質制限食を導入し、糖尿病治療に画期的な成果をあげていました。しかしながら、あまりにも変わった食事療法ということで、当初は私も栄養士も信用していなかったのです。
その後かなり重症糖尿病患者さんが入院され、玄米魚菜食(カロリー制限食)を実践してもらいましたが、1週間たっても食後血糖値は400mg/dlを超えていました。そこで思い切って糖質制限食に切り替えたところ、インスリン注射も経口血糖降薬も使用しなかったにもかかわらず、その日から食後血糖値は正常になりました。
正直びっくり仰天しました。抜群の治療効果を目の当たりにした私たちは、病院をあげて糖質制限食の研究に取り組むようになったのです。
さて、私自身はここ十数年は断食していませんが、1回目の断食後は朝食抜きの1日2食でプチ断食を継続していて、食生活にはそれなりに気をつけていました。
しかし、2002年の病院の健康診断 でついにヘモグロビンA1Cが6.3% と糖尿病の域に達し、慌てて食後2時間血糖値を測定してみると260mg/dlもあり惜然としました。
胚芽米に替えて玄米で実験してみても240前後ではんの少し減少しただけでした。腹部の内臓脂肪CTで基準オーバー、そして高血圧… … しつかりメタポリックシンドロームの基準を満たしていました。
ここに至り、一発奮起して、2002年6月から糖質制限食を始めました。
肉・魚・野菜・豆腐などおかずは食べ放題で、主食(糖質)だけがNGです。酒はビール・日本酒などの糖質を含んでいる醸造酒はやめて、もっぱら焼酎にしました。その結果、半年後には体重が56kgに落ち、血圧も120/70mmHG、ヘモグロビンA1Cも正常になり、メタポリックシンドロームも解消し、学生時代の体型にぴったり戻りました。年現在もその体型を保っています。
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